離婚届を提出しました。
2024年12月18日、丸7年の結婚生活に終わりが来ました。
丁寧に話合い、お互いが納得の上での決断でした。
私が東京に出てきて1ヶ月後に共通の親鸞会の友人経由で出会い、半年後に交際を開始。
その1年後に入籍し、7年間の夫婦生活を送りました。
人生の1/4程度の時間を共に過ごし、非常に仲の良い、ケンカの少ない夫婦だったと思う。
私たちには子どももおらず、争う財産もなく、円満離婚そのものと言える決着でした。
子どもが欲しい私とそうでない彼女、
親鸞会を辞め組織とかどうでもよい所で仏法を語らいたい私と親鸞会こそが絶対の彼女。
こればかりは価値観の違いとして否定もできず、違う道を選ぶお互いを尊重した結果でした。
当事者になるまでは離婚にネガティブなイメージを持っていましたが、
今ではその選択をした夫婦への解像度は上がりました。
幸せな結婚もあればその逆もあるように、
お互いが幸せになるための、穏やかな離婚があることを知れました。
『離婚は絶対にダメ』と思っている方へ、
「そうではないのだよ。お互いが苦しんでいるのだから、幸せになるための選択としての離婚もあるのだよ。」と伝えたい気持ちも生まれました。
人生は積み減らし
大阪万博で太陽の塔を製作した岡本太郎氏は著作『自分の中に毒を持て』でこのように言っています。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。
ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほどかえって人間は自在さを失ってしまう。
過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きが出来なくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。
それは心身とも無一物、無条件でなければならない。
捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴とばしてやる、そのつもりでちょうどいい。
諸仏に捨てられた私が阿弥陀さまに拾われたように、
妻に捨てられた私はどんな拾いものと出会えるだろうか。
間違っても離婚なんかしない方がいいに越したことはないけれど、
捨て(られ)ると自由自在になれる感覚は仏法も世間事も一緒だね。
やっぱつれえわ。凡夫だもん。
なんやかんや格好つけて書いても一番いいたいことはこの画像の通りです。
2025年はどんな出会いと別れがあるかな。良いお年を。