私の求道記-⑤カウンセリングと葬儀編

私の求道

1週間の聞法とカウンセリング

2021年9月のシルバーウィークは大きな聞法の変わり目でした。

有給を使い、1週間の休みを使って5日間法座に出ました。最初の3日間を京都の会館で、残りの2日間を高山支部の法座に出る日程です。

東京、京都、飛騨と移動し、全て仏法漬けの1週間にしよう、何としてもこの1週間で聞き抜くんだと決意を胸に、肩に力が入っていたのを覚えています。

京都会館での2日目にサイコドラマをしました。サイコドラマ(心理劇)とは即興劇の方法を用いた集団心理療法(カウンセリング)の1つです。

役割に応じた演技を通して、相手の立場に立って考えることの重要性と、自分の態度の変化が相手の態度にも変化を及ぼすことを学習できるワークです。

華光の聞法にはカウンセリングの要素も含まれているのが有難いです。機責めがあるとかネットでは書かれていますが、全くの誤りで、常に求道者の心に寄り添って法を勧めてもらいました。(少なくとも私は機責めは受けたことはありません)

私はこの劇を行うことで、阿弥陀さまが私のことをどう見ておられるのかに気づかせてもらいました。

実践では若手の仏青グループで劇を行いました。私が求道に悩む求道者A役、阿弥陀さま役、求道者の心の声を話す仏青メンバーが4名で、それぞれの役割に応じて、胸の内を演じました。

私はセリフ無しで、求道者4名の声に応じて心のありようを体でジェスチャーをする役です。

後ろから聞こえてくる声が私の悩みそのもので、皆同じ悩みを持っているんだと「そうそう!」と思いながら演じました。

求道者の「仏法が信じられない!」の怒りの心に触れれば畳を叩き、
「いつになったら聞かせてもらえるのか」の悲しみに触れれば泣き、
「阿弥陀仏の本願はおとぎ話にしか聞こえない」の虚しさに触れれば肩を落とす演技をしました。

共に求道する皆も、仏法を大切に思いながら信心を得られない心に苦しんでいるのだと知り、私だけが悩んでいるのではないと気づきました。

しかしどれだけ悩みを打ち明けた所で自力には変わりありません。

劇が終わり、信先生から「今どんな感じ?」尋ねられました。最初はサイコドラマに懐疑的な態度を持っていたのですが、他者との交流により自分ですら知り得なかった内面の感情が表に出て来ました。

阿弥陀さま役の女性に向かって「どないせぇっちゅうねん!!!」と腹一杯の声を荒げました。

社会人になってから、初めてあんな大きな怒りの声を人前で出し、驚きました。

真面目な聞法者面をしていた自分のみっともない姿を見せてもらいました。こんなひどいことを阿弥陀さまに言うような自分だったのかとハッとし、また一つ自分の姿を見せられました。

本気になって怒れることなんて仏法以外にない、しかしその仏さまに対して怒りの声をぶつけているのが私。

『そのままよ!』と言われても流してしまうのも私で、いったい私は何を聞きたいのか分からなくなりました。

 

飛騨への移動とクレーム

京都で3日間ご縁をいただいてから飛騨に移動し、4日目5日目のご縁もいただきました。

必ずここで聞き抜くという決意はあくまでも自力であり、法座が虚しく過ぎていきます。

いつになったら、いつになったら聞けると自分の心のみに執着し、本願を聞こうとしません。

サイコドラマで自分のみっともない姿・阿弥陀さまをはねつける姿を見せてもらっても自力はしぶとい。

すぐに聞けん聞けんと自分の心を問題にします。

1週間の聞法旅行も終わり、秋の寂しい空気を味わいながら東京にメソメソと背中を丸めて帰るより仕方がありませんでした。

 

この聞法旅行中には仕事での大クレームも受けていました。

本来であれば東京にとんぼ返りし、すぐに謝罪に向かうような案件でしたが、ここで世間のことを考えていてはダメだと、上司に相談し代わりに対応してもらうこともありました。

都合のいい聞き方でしかありませんが、『この法は誰にも譲ってはいけない』『世間のことは何とかなるんや』と教えていただいたことを信じ、「クビになるんやったらそん時はそん時や!」とこの時ばかりは仏法聞きたい気持ちを勝たせてもらいました。

親鸞会時代の、火の中をかきわけて仏法は聞かねばならないとしつこく言われていたことも役に立ったように思います。何が縁になるかは分かりません。

結局は社会人になって一番の怒号&お叱りを取引先から受けることになるのですが、丁寧に謝罪してリカバリーをしたことで、続けて発注をいただけるようになりました。

私個人の味わいですが、やはり世間のことは何とかなるのです。後生の一大事だけが取り返しがつかないのです。

 

2人の祖母の死

そんな仕事にも追われる中、2021年10月1日に祖母が亡くなりました。

高山支部法座が終わって僅か1週間後には飛騨の実家に戻ることになります。

訃報を聞いた時の正直な感想は「何でこのタイミングなんやろう…」でした。我ながら薄情な長男です。

祖母はもう何年も高齢者施設で寝たきりでした。亡くなる予兆もなく、体調が急変しての出来事だったようです。

1週間の聞法旅行で聞き抜けなかった落ち込みや、クレーム対応で気持ちが沈んでいたところに祖母が亡くなり、気持ちが落ち着きません。

慌ただしく喪服を準備し、実家に戻りました。

「何もこんな時に亡くならんでも…」とバスに乗っている時は思っていました。しかし祖母の青白い顔を見て、冷たくなった手を握った瞬間に涙が溢れました。

『お前もこうなるぞ…』と祖母の声なき声が聞こえてきて、ゾッとしました。命を捨てて仏法聞き抜けと叱られたように感じ、念仏が止まらなくなりました。

思えば家族の中で仏法の話してくれたのは祖母だけだったなと思い出し、なおのこと泣けて来ました。

なんでこのタイミングなんだろうではなく、このタイミングしかなかったのです。祖母も私にとっての善知識でした。

 

12月にはもう一人の祖母を亡くします。高山支部のT子さんです。FさんOさんのお母様で、長年に渡り高山支部を支えられた妙好人です。

2021年12月4、5日の飛騨支部法座に参加しました。5日の法座が終わり、その日の夜に容体が急変しご往生されたとのことでした。

FさんからT子さんの往生の連絡を受けて、「あっ、俺が殺してしまったんや。」と直感的に感じました。

飛騨に生まれた私がいつまでも仏法聞けん聞けんと言って泣いているから、T子さんが私に仏法聞かせるために仏さまになりに往かれたのだと、こう思いました。FさんとOさんは怒るかもしれないけれど、そうとしか思えなかったのです。

T子さんとは一度もお話したことはなかったけれど、F家にはT子さんの念仏が確かに残っており、飛騨で生まれた私がその念仏によってお育ていただいたのです。

4日の晩は夜中2時までFさんに信心の沙汰に付き合ってもらっていました。

私が「とんでもないものに目ぇつけられてしまったなぁ…」なんて言って落ち込んでいるのに、『そうやろ!』とケラケラと笑って仏法を語られる姿をみて、私もこんな風に仏法味わえるようになりたいなと強く思いました。

しかし最後はやっぱり私が仏壇の前に行って泣いて念仏に逃げる始末で、Fさんを困らせました。そんなグズグズしている聞法しかできない者だから、T子さんが文字通り命を捨てて仏法を勧めて下さるしかなかったのだと思います。

立て続けに2人も亡くし、無常を感じ、仏法聞けよの鈴をつけてもらいました。

念仏編に続きます。

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