私の求道記-①学生編

私の求道

体験記

私の自己紹介も含め何を聞かせてもらったのか振り返ってみます。

平成初期、岐阜県北部の飛騨に生まれました。

夏の白川郷

地元はユネスコ世界遺産の合掌造りや、アニメ映画『君の名は。』の舞台等で有名な雪深い地域です。

飛騨は蓮如上人時代に教線が伸びてから真宗が盛んな土地であり、私の実家の宗派はお西(本願寺派)です。

子供の頃、家族で墓参りに行くと墓石に南無阿弥陀仏と彫ってあるので「これなあに」と祖母に聞くと、「念仏称えると極楽に行けるんやぞ」と教わりました。

それに対し直感的に『それは嘘やな。それやったら称えて自殺した方が幸せになってまうやろ。』と疑問を持ち、よく分からないけどご先祖さまは大切にしなければならないくらいの認識でいました。

母は私が病弱だったせいで新興宗教の真光に入り、私もよく集まりに連れて行かれました。

手をかざすことで病気が治ると言う教義のクセに、私が病気になるとすぐに病院に連れて行くため、絶対に嘘だなと思っていました。

普段は仲が良い家族でしたが、唯一が母が真光に対して反対をしていました。

そのため真光の大きな行事に行く時になるといつも諍いを起こすので、「宗教とは仲の良い家族仲を引き裂く恐ろしいもの」と私の中で認識されていきました。

母は私の病気を治そうと、すがる思いで真光に救いを求めました。

それなのに私は宗教アレルギーを強め、喧嘩の原因になり母を悲しませました。

学生時代はサッカーの部活一辺倒。

小学校では県大会優勝、中学校では県準優勝の成績を収めるものの、強豪校から声がかからず地元の高校に進学します。

平凡な高校生活の後、就職したくないの一心で受験勉強に打ち込んだ結果、ギリギリの所で富山大学に小指をひっかけ合格。念願の大学生活を始めることとなります。

大学に行けば熱くなれる何かが見つかるハズと期待していたものの、単位を犠牲に飲み会と麻雀に明け暮れる毎日。ついたあだ名は歩く自主休校。

そんな大学生活にも飽き、地元に戻るかと就職活動を始めた3年の夏、かの勧誘に会いました。親鸞会です。

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