私の求道記-④華光会編

私の求道

華光会東京支部法座に初参加

そうして2019年6月、東京は文京区林野会館で初めて華光会での聴聞が始まりました。

敵と思われてるんじゃないかと必要以上にビクビクしながら出かけて行ったのを覚えています。

親鸞会は華光会を異安心扱いしているので、華光の人からどのようなことを言われるのか不安でした。

親鸞会の高森さんは華光会出身なのにも関わらず出自を隠すのは残念なことです。

法座に出てみると真宗の正しい教えが説かれており、「親鸞会しか正しい仏法を説かれる場所はありません」と刷り込まれていた私にとっては固定概念が一つ取り除かれるようでした。

夜の懇親会でも温かく迎えていただき、あまりに狭い世界で、凝り固まった仏法にしか出会っていなかったと感じました。

東京支部の同じ親鸞会出身のOYさんとも連絡先交換し、同じ悩みを通った先輩がいることに大きな安心がありました。持つべきものは善知識と同行に違いありません。

しかしその後半年ほど、仏法から離れる時期が続きました。親鸞会を離れることは自身にとって思ったよりショックが大きかったようです。

正しいとか正しくないとか、一旦そんな所から離れて、仏法とは何なのかをフラットな状態で向き合ってみたいと思ったのです。

きっと疲れていたのでしょう。

コロナ禍での求道

しかし仏法から逃げることはできません。2020年から世間はコロナ禍に突入し、会社は4~5月と休業に入り、仕事も激減、不安から軽い鬱病のような状態になりました。

逆境の時は仏法に心が向かうのでしょうか。

半年ほど間が空いてしまいましたが、本格的に華光会での求道が始まりました。

コロナ下でありながら続けて法座を開いていただいたおかげで、東京か飛騨か京都で毎月1回はご縁を持つことができました。私の聞法は常にこの3箇所でした。

世間の常識では感染症の防止から法座を開催しないことが良いのかもしれませんが、常識を超えた法の働きがあったのだと思います。

阿弥陀さまのお手回しで、仕事の邪魔も入ることなく自然と京都の会館や高山支部でのご縁もいただくことができました。

感情的な私は聴聞に行く度に号泣。

聞けん聞けんと泣きながら法座に出ては、泣いて、帰る日々を繰り返します。

初めて聴聞中に感情が昂った時には、「おっ、キタキタ!どうしようもなくなってきた!涙も出てきた!お念仏も出てきた!これで信心いただけるんやないか!」みたいなアホな聞き方をしました。

そうして法座が終わった時にはケロッとしているものです。

そんなことが法座の旅に繰り返され、今回もダメだったと、自分の心の変化ばかりを気にして法そのものを聞いてはいませんでした。

高山支部での聴聞

2020年の秋からは高山支部のご縁をいただくようになりました。

飛騨は仏法に篤い土地と聞いて育ちはしましたが、地元出身の感覚としては「果たしてそうかなぁ、、」と疑問も感じていました。

飛騨に生まれたことの有り難さを当時は知る由もありません。

高山支部法座は一般家庭で行われる、所謂家庭法座です。

会場となるFさん宅は、ご両親だけでなくご兄弟で本願を喜ばれる仏法的サラブレッドの家系で、家の柱にまで念仏が染み付いているような住まいです。

Fさん宅は私の実家から20分ほどにあります。初めて参加した時は飛騨にもこんなに本願を喜ばれる人がいるのかと驚きました。

飛騨に生まれながら本願喜ぶ人の存在を知らずに、富山だの東京だのに真実無いかと探し回っていたのは愚かなことです。

最初は高山支部法座に参加するのに実家に泊まっていたのですが、2回目からはFさん宅に泊めていただき、夜は華光会の信先生とFさんとその弟のOさんと一緒に飲むようになりました。

私以外の三人が楽しそうに仏法讃談に花を咲かせている間、私は仲間外れのように感じていました。

そんな中で『君も早く聞きなさい』なんて言われるものですから、「それができないからこんな泣いてるんでしょうに…」とまた寂しく思います。

こんな旨そうに酒を飲みながら仏法の話をする人たちと、早く一緒の仲間になりたいと羨ましく感じていました。

求道において大事なことは、先を歩く先達と出遇えるかどうか、これが全てではないかと思います。

飛騨高山から新宿駅までは高速バスで約5、6時間ほどかかります。

飛騨に向かう時には「必ずこの法座で聞き抜くのだ!出来なければ死ぬ!」と意気込んで向かい、東京に帰る時には「またダメだった。」と泣いてバスに乗っていたのを覚えています。

都会のネオン看板が近づく度に、いつしかこの欲の街に飲み込まれて仏法聞かなくなるのだろうなとしみったれた感情を抱きながら帰りました。

 

これが獲信か?

ある時、東京支部法座の午前中の座談会で「仏法聞かせて下さい!」と真剣に頭を下げて法を求める方の姿を見ました。

それを見て、「こんなに熱心に仏法求める人がいるのに、俺はなんとも思わん。俺は地獄しか行き場の無い人間や。何をジタバタしてたんやろ。」と心境が変わる時がありました。

それまでは地獄に行きたくない行きたくないで仏法聞いていたのに、ふっと心が軽くなり、『私は地獄しか行き場がないもの…』と心境が変わりました。

昼休みに飛騨のFさんとOさんに電話して心境を語るも、「聞き方が変わったんやね」と否定も肯定もされないお返事。

午後の法座で私は「仏法聞かせてもらいました!」と発言しました。さぁ信心の沙汰の開始です。

『何を聞かせてもらったの?』
「地獄一定の自分が…」
『それって具体的にどういうことなの?』
「それは…」

そんなやりとりをする中で、結局は自分の心境の変化を信心と思い込んだだけだと分かりました。

分かる人には分かるんでしょう。愚かな人工信心を作っても数時間しか握らせてくれない華光は本当に有り難い。Mさんのように妥協せず切り込んでくれるお同行は本当に大切な存在です。

ネットでは自分の心境の変化や有り難くなった心を根拠に信心いただいた!と喧伝している人(機決定)も見られますが、そんなものは聞いた分かったの番頭の心で、主人を守るためなら死んだふりでも何でもする。自力の心の恐ろしいところです。

 

求道中はこのように、
・有り難い気持ちになったり
・念仏止まらなくなったり
・もうダメだ!と思って気絶するまで念仏してみたり
・夜中に後生が苦になって布団から跳ね起きて念仏してみたり
・翌朝は嘘のように心が晴れやかになって朗らかに念仏してみたり
と多くの不思議な体験をしました。

しかしそんなものは凡夫の心境の変化や体験であって阿弥陀さまの本願ではありません。

毎回聴聞に出て行く度に間違いを剥がされて、泣きながら帰り、不思議な体験も信心ではないと斬られていくので非常にシンドイ思いをしました。

お軽同行の『こうも聞こえにゃ聞かぬがましよ』の唄に励まされながら、みんなが通った道だと思い、苦しみながらも毎月聴聞に出かけて行きました。
(苦労されているのは阿弥陀さまなのになんと偉そうな)

求道中は特に東京支部のIさんやOYさんにも親切にしてもらいました。OYさんにはいつも求道がしんどくなった時に連絡して話を聞いてもらいました。

善知識・同行には本当に自分から近づいていかねばなりません。

ある時、東京支部法座の1日目が終わった夜、親鸞会で活動する妻とケンカになりました。

私は華光で正しい仏法聞いている、彼女はいまだに親鸞会で間違った教えを聞いているなどといった、華光では『お前何様やねん』と怒られる言い方をしてしまい大失敗。

自ら招いた離婚の危機です。本当によくなかった。

こんなこともあり、苦しくなって東京支部の2日目の法座を途中退出しました。あれだけ聞きたいとか言っていても、今生の人間関係一つで仏法投げ出してしまうのが本性。

Iさんにはいつも『奥さん大事にしなきゃいけないわよ』と慰めてもらい、ありがたくも自分が情けなくなりました。

帰ってから妻に謝りました。夏の暑い日でしたが額で感じる床は冷たかった。

思えば親鸞会辞める時も妻にはロクに相談をせずに、勢いのままに退会しました。

そのせいで妻は大変苦労をしたそうです。

どうか読まれてる方で親鸞会を退会しようと悩まれている方がいれば、家族とは丁寧に話を進めて下さい。家族を犠牲にしてはなりません。

妻にも本当に迷惑をかけました。彼女もまた私の善知識です。

カウンセリングと葬儀編に続く

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