私の求道記-⑥念仏編

私の求道

東京での聴聞

2022年1月、東京支部法座のご縁をいただきました。来月からは仕事も忙しくなるのが分かっていて、ここで聞き抜けなければ本当に私は仕事に逃げてしまう。だからここで聞かせてもらうのだと決めて出かけました。

しかし今までの肩に力が入るのではなく、そのまま聞かせてもらうのだと静かに念仏をしていたように思います。

前の席に座っているUさんから「力の抜けた、いい念仏が聞こえてくるからこの席がいいわ〜」と声をかけてもらうも、「いい念仏と悪い念仏とがあるんですかい…」と訳の分からないことを思っていました。

一日目は、ダメ。2日目も、ダメ。信先生が熱心に話をされるのに私は私のことばかり。しかしその中で『安心決定抄』のご法話が胸にスッと入って来ました。

『安心決定抄』のご説法

2日目の終わり際残り15分になって、IWさんに「あくれる君、なんかないの!」と勧められたのが有り難かったです。

『安心決定抄』のお話から、仏法聞けぬ聞けぬと泣いているのは、阿弥陀さまとお釈迦様に「もっと命を捨てろ、もっと修行しろ!」と言っているのと同じですと信先生から教えてもらいました。これを聞いて、

「今まで私は1ミリも仏法聞いて来なかったし、これからも仏法聞くことはない。そして何より、今、私は仏法聞けない…」と言い終わったかどうか、あとは机に突っ伏して、とめどなく出てくるままに念仏させてもらうだけでした。初めて仏法をそのまま聞かせてもらうことができました。

あの時の念仏はなんだったのか、どういう感情で称えていたのかは分かりません。ただ、ただ、勝手に念仏が出てくるだけでした。ただ、そのまま仏法聞けない者と聞かせてもらって、念仏するだけでした。

借りていた会議室の時間が来ました。「どんな感じ?」とか「よかったね!」と声をかけてもらいます。

「何がよかったんですか!ここまで来て変なもの握らせないで下さい!」と口にしそうになりましたが、正直よく分かっていなかったので、「分かりません」とだけ言って会場を後にしました。(華光は気責めして信心握らせる会と思っている方がいるようですが、そんなぬるい場所ではありません)

止まらない念仏

ご法話の帰り道、信先生とご一緒して、地下鉄丸の内線 茗荷谷駅から東京駅まで向かいます。

「何がよかったのか分からないのですが…大慶喜心も起こってこないのに…また変なもの握っているのかもしれません…」と質問するも「いい、いい。」と簡単な返事をされるだけで余計に分かりません。

ワケ分かんないのに、ただ、ただ、念仏だけが勝手に溢れてきます。私だって仮にも社会人で電車の中で念仏していたら変な人と思われるのは分かっていますから、電車の中では小さい声で念仏させてもらいました。

しかし後日聞いた話によると相当大きな声で念仏していたようで、一緒にいる信先生は恥ずかしい思いをされたそうです。(信先生ごめんなさい)

しかし勝手に出てくるものは止められません。分からん、分からん。でも念仏だけが止めどなく出てくる。

翻り、出遇う

分からん、分からんと思って、家に着いて『仏敵』を読みました。華光会を創った伊藤康善先生の著書です。今までも何度も繰り返し読んで、私の求道鞄に常に入っていた本です。3回読んで、3回読み方が変わらないといけないと教わった本です。

驚きました。本当に同じ本を読んでいたのかと。全く読み方が変わってしまったのです。これまでは求道中の伊藤先生の気持ちが分かり、聞けない聞けないと悩まれる学生時代の伊藤先生に共感し、法を勧める同行の言われることが全く分かりませんでした。

しかし今はどうか。求道に悩む伊藤先生に「そうではないんです!そこに阿弥陀さまにいません!」と偉そうに言い、同行の方の法の勧めに対し「そうや、そうや!」とそのまま聞かせてもらえる。

「私一人がための本願」とそのまま聞かせてもらった時、また涙と念仏が止まらなくなりました。親鸞聖人一人のための本願ではない、他でもない私こそが阿弥陀さまのお目当だった!あぁ、もったいない、もったいない。阿弥陀さまをどれだけ長い間泣かせてしまったのか、どれだけの善知識を殺し、法をはねつけて来たのか。どれだけ私に仏法聞をかせるためにご苦労させてしまったのか!

難しい仏法のご文がそうだそうだと頷ける。全然喜べなかった地獄行きのご文こそがありがたい。仏法まことは本当だった!出るはずのない口から念仏がとめどなく溢れ出てくる。

阿弥陀さまの一人働きでありました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。。。

そのうちに仏敵も読み終わり、念仏も止まってしまう。しかし、今度は勝手に恩徳讃が溢れてくる。本当に如来大悲のご恩の深さがそうだそうだと味わえる。こんなに嬉しいことはない!

仏敵を繰り返し読み、真宗聖典を読み、念仏と恩徳讃を味わっているうちに、ついにその日は眠らずに朝を迎えました。隣で寝ていた妻は相当うるさいと感じていたと思います。申し訳ない。

飛騨に生まれなかったら、新興宗教をやる母がいなければ、仏教に興味もたなかった。S会に誘われなかったら、後生の一大事があること知らなかった。妻がいなかったら東京にいることもなかった。父がいなければS会離れることもなかった。華光会が続いてなかったら本願聞かせてもらえなかった。信先生が法を説かれ、同行が仏法を勧めてくれなかったら聞けなかった。もったいない。もったいない。

翌日OYさんに電話して「仏法聞く耳をもらったんやね」と教えていただき、また嬉しかった。

信先生にお礼の電話するのが嬉しかった。京都の会館にお礼を伝えに行くのが嬉しかった。その後の高山支部で信先生とFさんとOさんと一緒にお酒飲めたのがまた嬉しかった。いただいてばっかりで申し訳ないことです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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