私の求道記-②親鸞会編

私の求道

キャンパスでの勧誘

『人生の目的って考えたことある?』

その先輩は富山大学のキャンパスで就活用のパンフレットを持つ私にこう質問してきました。

人様に迷惑かけないように生きて、家族を持って、その家族を大事に守っていけたら次はいい人生に生まれ変われるんじゃないか。因果応報は多分本当だから、悪いことをせずに生きて行く。

これが当時の私の人生観であり、宗教観でもありました。

人生の目的なんてそんなハッキリしたものがあるなら知りたいし、そんなこと話題にする友達もいなかった。

「考えたことありますけど、考えても仕方がないので…」こう返事をすると、

『ちょっと興味があるなら話聞いてみない?』とあれよあれよという間に1時間ほど(親鸞会流)人生の目的について話を聞いていました。

なぜサルは自殺しないのか?
なぜ高学歴の東大生ほど自殺者数が多いのか?
なぜ死んだ先をハッキリさせないままではいけないのか?

それまで問題にしても仕方ないと思っていた疑問に、次々と答えられていく姿に圧倒されました。

その途中、先輩が嬉しそうに『人生の目的はあるよ!』なんて自信満々に言うし、

しかもそれが実家の宗旨でもある浄土真宗にあるらしいとなれば惹かれて行くのは必然でした。

大学3年の夏休みで時間だけはありましたから、後日親鸞会の講師を紹介され、活動用の部室を紹介され、どんどん親鸞会の組織にハマっていきました。

『若いうちに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。大人になっても左翼に傾倒している者は知能が足りない。』と英国宰相ウィンストン・チャーチルは言いましたが、若い私は人生の目的ここにあり!と情熱を振りかざし親鸞会の活動にのめり込んでいくのでした。

後々分かったのですが、その先輩は富山大学医学部医学科の才媛で、この別のキャンパスに年2回しか勧誘(親鸞会用語でいうAT)に来れない中で私に出会ったそうです。

大学3年で暇と情熱を持て余していた私と運命的?な出会いをした先輩は尊敬の対象で、親鸞会に入会するには十分な理由でした。

何より美人だったのが決め手。そらそうなるよ。

 

親鸞会へ入会・活動

大学4年になり、私の居場所は富山大学近くにある親鸞会富山学友部の部室にありました。

それまでの友達関係やサークル活動、果てはバイトまで辞めて、ひたすらに学生に仏法を弘める活動に時間を使うようになりました。

朝の早くから部室に行って勤行、講義の休み時間には声をかけた学生へ話をし、夜は会合とお勤めをして、深夜まで活動をして下宿先に帰る生活。

それまでの人間関係を切り離していくのは新興宗教の常套手段ではありますが、関係をバッサバッサ切っていくことに何の疑問もなく出来たのは手練れの学友部長の成せる業か。

今であれば「やってんなぁ〜」くらいの感覚ですが、当時はこれが楽しかったんです。

教学聖典という親鸞会の教義がまとめられた書籍があり、それを受験生ばりに丸暗記して親鸞会でしか通用しない独自の教学を脳みそに叩き込む日々もまぁ楽しかったんです。

50問×7冊=350問を丸暗記して臨む試験があり、それに合格するために部室に泊まり込む教学合宿もやりました。

テキトーなサークル活動して、飲み会して、徹夜で麻雀する灰色の日々とはなんたる変化か!

「これこそが人生の目的!俺が求めていたもの!」と思っているうちはしんどい活動や組織に何の疑問も持たず、無邪気に時間とお金を捧げていました。

当時特に問題視されていた正体を隠して行う違法なキャンパスでの勧誘は全国の大学で行われており、富山大学でも例外ではありませんでした。

キャンパス内で親鸞会は危険な組織としてマークされており、学生に声をかける活動は様々なリスクを覚悟して臨む必要があります。(大学職員に捕まって親に連絡が行き、退学になった学生もいます。)

それを乗り越えてこそ親鸞学徒(会員のこと)だ!宿善が厚くなるんだ!といった異常な認識で皆やってた記憶があります。

私も活動中に大学職員から追いかけ回された時は「これで俺も一人前かぁ…!」とガッツポーズする始末。(完全に頭おかしい)

元親鸞会の講師や諸兄により、歪な組織の実態が明らかにされていますが、やってる当人としては「私たちは高森会長という蓮如上人ぶりの善知識から真実を聞かせてもらってるんだ!」と本気で思っていました。

会の組織や上層部は極めて邪悪なところがあるが、普通の一般会員は善良で人間的にも良い人が多いというのが現在の認識です。

本当に真面目で親切な人ばかりです。ただ、親鸞会が浄土真宗の教えかと問われれば明確に違うと言わざるを得ません。

 

社会人へ

就職は富山市内で親鸞会幹部が当時役員をしている企業に入りました。

別の企業の内定も決まっていたのですが、学友部長の勧めでその内定を蹴ってこの企業にしました。

就職先にも口を出してくるあたりなかなかにカルトって感じですが、他にも富山県外に就職するとご縁が遠のくぞ!と脅しをかけるのは毎年のことで、親鸞会の団体職員になった先輩後輩もたくさんいます。

就職先ではメインは官公庁との取引でしたが、たまに全国各地に建つ親鸞会の地方会館の造成工事にも関わりました。

高森会長の自宅にも仕事で行ったことがあります。(デカかった)

今思えばそんなことをやっているから儲からねぇんだよとも思いますが、親鸞会のためになることをすれば宿善が厚くなると本気で信じていたので、赤字でも、深夜残業しても善なのだと思って働きました。

3年目の冬に、親鸞会幹部の上司が「仏法者として流石にそれは許せませんよ」と思う言動をしたのをきっかけとして転職活動を開始、なんやかんやあって東京で働くことになりました。

あれがなければ今も富山で働いて親鸞会にいたのかな。

東京〜脱会編に続きます。

タイトルとURLをコピーしました